産婆取り締まり令―働き方改革に向け忘れてならないこと 2 ―
長野醫報の2022年6月号の若里だよりに記載したが、2004年2006年2008年と相次いで発生した大野病院・大淀病院・墨東病院事件とその判決等は、2021年には産婦人科学会から新潟宣言が発出されるなど、医師の働き方の改革への努力をもたらしている。
表題の題材は触れたくないことでもある。
江戸時代は、初期の国内人口3000万人、末期に至るも3000万人と人口増加が期待できない時代であった。疫病・飢饉は度重なり、生活苦から堕胎を希望する女性も多かった。幕府は早期から堕胎禁止令を公布し、間引きの禁令は98回に及んだ。だが、堕胎薬の専門売買の女性はサシババと呼ばれ、具体的には妊娠中は、胎児腐食薬(牡丹皮・水銀等)の産門挿入などが行われていた。加えて当時は避妊の知識もなく、胎児障害など分かる筈もないことから、産婆は胎児が生まれる前に、生かすか神にもどすか、家族の意思を確かめておき、もどす場合は児頭が出ると同時に呼吸停止の処置を施す。胎児・新生児に現在の生命の尊厳はない。間引きや姥捨てという悲しい手段で江戸は微妙な人口バランスをとり生きながらえてきた。
明治元年維新政府は堕胎に対して如何なる理由があろうとも断固とした決意で産婆取り締まりを開始する。そこに正当な理由と思えぬ軍備の面で西欧列強に追いつこうとする新政府の強い決意も垣間見える。
明治維新以来の産婆への厳しい業務規制は、助産婦法に実質引き継がれ、GHQの指導で、助産婦制度の廃止、保健・助産婦・看護婦を一つの職能にまとめ、「分娩は医師と助産婦看護婦による施設分娩」という方向性が整う。
現在、少子化有事を抱える政府の唱える産婦人科医師の働き方改革は、『医師を含め、医療機関で働くすべての人の働き方改革を進め、誰もが、心身の健康を維持しながらいきいきと医療に従事できる状況の実現。
今は多忙な医師、医療従事者も、
●自己研鑽に十分な時間を割くことができる
●研究にも十分に力を注げる、
●十分な休息で疲労を回復し笑顔で働ける
そういう状況の実現をすることが、よりよい質の医療の提供へ』とされる。
幾多の困難を乗り越えてきた産婦人科医療である。はたして法でお産を律できるようになるのか?
参考:杉立義一著 お産の歴史