防衛力整備は周囲の戦略環境に応じて考えるべきもの―防衛戦略と軍事戦略は安全保障戦略の車の両輪である―
安全保障関連予算の財源を巡っての議論が喧しい。安全保障関連3文書、「国家安全保障戦略」、「国家防衛戦略」および「防衛力整備計画」において、「反撃能力」すなわち、我が国が侵略国(敵)の「ミサイル発射基地を攻撃できる能力を持つ」という内容が打ち出された。ロシアのウクライナ侵略によって、我が国の防衛力整備計画の「専守防衛」という概念は全く過去のものとなってしまった感がある。また、習近平は台湾を核心的利益であると断言しており、台湾への侵攻を否定できないところまで来ている。
昭和41年当時、佐藤栄作首相は、当時の世相も影響してか、防衛費を「国家、国民の資産として残るというよりは、消耗品的なもの」とする福田赳夫蔵相の意見を支持した。安倍晋三元首相は、令和4年の自民党・安倍派の会合で、「防衛予算は次の世代に祖国を残していく予算だ」との見解を示し、建設国債を防衛費に充てることを否定はしなかった。
明治天皇は明治26年の詔勅において、当時の朝鮮半島情勢などに鑑み「内廷費のうちの30万円を向後6か年海軍拡張のために下附」され、それに従って文武百官も同期間中、俸給の十分の一を建艦費として天引きされたという(漱石とその時代:江藤 淳)。岸田文雄首相の防衛力整備計画に対する防衛国債や増税策も「止む無し」といったところだろう。