患者さんが自分で意思決定するということ―透析中止報道に見る本人意思の軽視―
公立福生病院での透析非導入・中止が議論を呼んでいる。ガイドラインからの逸脱や再開希望への対応が目下問題とされた。また、末期がん患者に比べれば長期の生存が期待できる透析患者を終末期、治療を延命と考える点も意見の分かれるところであろう。
さてその報道であるが、「20人非導入、全員死亡」のセンセーショナリズムは、報道の王道でさておき、気になるのは「医師が透析中止を提示、患者死亡」「病院により人工透析治療が中止され、1週間後に死亡」のような表現である。提示のあとに「患者の意思決定」があり非導入・中止されたのに、その「意思決定」の事実と「意思確認書」の重みが軽視されているように見える。
問題にすべきは、説明は妥当で十分だったか、どういう気持ちで意思決定したか、決定の変更は受け付けられたかではないだろうか。本人意思軽視の姿勢では、患者本位、患者主体の医療を語ることはできない筈である。